センターとは

沿革

大阪大学工学部は1896年(明治29年)創立の大阪工業学校からはじまる115年以上にわたる長い歴史をもち、その歴史を通じて阪大からは光学・光工学・分光学において世界を先導する多くの研究が生まれています。

「町人学者-浅田常三郎評伝」(増田美香子編、毎日新聞社)によれば、理学部物理初代教授の一人であった浅田常三郎は、1939年(昭和14年)に中之島にあった阪大理学部の屋上から朝日新聞社の屋上の時計塔に、水銀灯で光変調した音楽と映像を送りました。これは現在の光通信のまさに先駆けです。阪大の光学研究は、実学主義に基づく社会への貢献を目指してきています。ソニー創業者の盛田昭夫氏は浅田先生の教えをうけるために阪大に来たといわれています。

工学部応用物理学科は、日本の光学・分光学を先導的に開拓してきました。遠赤外分光法(今ではテラヘルツとよばれている)の世界的パイオニアである吉永弘、レンズ系の最適化設計を主導した鈴木達郎、電子顕微鏡を設計し初めて原子を見た橋本初次郎、ラマン分光学の三石昭善・中島信一、分光学と分析化学・バイオサイエンスの道渡した南茂夫、画像処理と光コンピュータの一岡芳樹などの多くのフォトニクスの先駆者がいました。先達の夢はこの阪大に「世界に貢献するフォトニクスの研究センターを設立する」ことでした。当時からアメリカにはロチェスターの光学研究所、アリゾナの光学研究センター、パリにも光学研究所があったが、日本にはフォトニクスに特化したセンターはなかったのです。

このほかにも、工学部電気・電子学科や基礎工学部、理学部、レーザー研をはじめとして光科学をリードされてきた数多の著名な研究者がおり、阪大はまさに日本の光学のメッカでした。河田聡は2001年に「フロンティア研究機構」においてその機構長として、阪大からの新しい科学技術の創出を目指して、5つの次世代重点領域を設定しました。そのひとつであったナノフォトニクス・プロジェクトは2005年に、工学部においてナノフォトニクス・リサーチイニシアティブとして発展し、ナノフォトニクスに関する国際会議や学術誌を出版しました。フォトニクス先端融合研究拠点(PARC)は、これを更に発展させた学内組織として科学技術振興調整費の助成を受けて2007年に誕生しました。2011年4月には工学部施設であった応用物理学科・光学実験室(P3棟)を解体し、その跡地に経済産業省の支援により光エコライフ研究拠点として5階建ての新P3棟ビルを建設しました。先達の夢は、いま大阪大学フォトニクスセンターとして実現しました。